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藤原時平の縁者たち

では、一方の時平の子や縁者たちはその後どうなったのでしょうか。やはりこちらも気になるので、調べました。
時平には、3人の息子と5人の娘がいたとされています。

長男は保忠(やすただ)。
大納言、右近衛大将。47歳で亡くなりました。管弦に秀で、「日本の笙の始祖」として後世に名を残しています。
次男は顕忠(あきただ)。
右大臣。68歳で亡くなりました。菅公の怨霊をおそれて、慎み深くすごしていたと伝えられます。
三男は敦忠(あつただ)。
中納言。38歳で亡くなったものの、管弦だけでなく和歌にもすぐれて、三十六歌仙に入っています。
百人一首「あいみてののちのこころにくらぶれば むかしはものをおもわざりけり」の歌の作者です。

娘のひとりは褒子(ほうし)。宇多上皇の御息所(みやすどころ)で、三人の親王をもうけたそうです。
ほかの娘たちは名前が伝わっていませんが、みな高い身分の男性にとついでいます。

息子たちが亡くなった年齢は、当時ではそれほど若いわけでもないので、時平の子孫たちに直接深刻な影響がおよんでいたわけではなさそうです。
藤原氏はとにかく、一族のなかでの複雑な地位の差がついてまわります。
藤氏長者の父を失った時平の子孫たちには、藤原一族ならではの苦労があったことと思われます。系図をみるかぎりでは、ほかの藤原氏の家とそれほど変わった点は見られませんでした。