他化自在天と 怨霊になる方法(30)
「タタリ」とは
怨霊と化していた当時の菅公が、実際の事件や騒動にどこまで関わっていたのか、詳細な部分まではわかりません。
しかし、他化自在天で菅公は「正式な怨霊」として認められていて、一連の出来事も「神仏によるタタリ」として認められているので、精神世界の関与があったのは確かです。
「ヒトはいかにしてカミになるのか」では、タタリと呪いは区別してつかっています。
タタリは「祟り」で、精神世界や神仏が関与したもの。呪いはヒトまたはヒトに近い存在によるものです。たんなる人間霊によるものは、タタリとはみなしていません。
菅公のタタリから250年ほどのちの、平安時代の終わりから鎌倉時代のはじめ。
平氏と源氏がはげしく争っているさなかに、京の都は天変地異と数年間にわたる飢饉におそわれていました。
当時のひとたちは、長寛2年(1164年)に四国の讃岐で亡くなった崇徳院の怨霊によるタタリだとうわさしていました。後世の「崇徳院怨霊伝説」の広まりからみると、それはそれはすさまじい様子だったと判断されます。
その頃の都の様子を記しているのが、鴨長明(かものながあきら、ちょうめい)の『方丈記』です。
そこでは、天変地異やタタリは 「さるべきもののさとしか」 と書かれています。
「さるべきもの」は神仏の遠まわしな表現で、古語の「さとし」は「神仏鬼神などのお告げ。前兆」という意味です。
「さるべきもののさとしか」は「神仏のお告げや、なにかの前兆、警告だろうか」という意味になります。
ひとが天変地異や社会の異変を
「人間よりも上位の存在のちからや意志のあらわれである」
と認識すること、そういう認識ができること。これを他化自在天は「信心の問題」だと語っていました。
近代になって、科学が原因の一部を解明できるようになったことで、天変地異をこのようにとらえる人は少なくなりました。
だからといって、タタリがなくなったわけではありません。
オオモノヌシの神によれば
「タタリのタネはそこらじゅうにゴロゴロ転がっているわなあ。
そろそろ芽を吹くころじゃあねえか?」
他化自在天と天満宮のお話は今回で終わりです。
精神世界に属する存在の談話をもとに、伝説と実際の歴史を比較・検討し、
「ヒトはいかにしてカミになるのか 〇〇はいかにしてカミになるのか」
を検証していく試みは、これからもつづきます。