祟り神大物主 巨椋池と伏見(7)
南海トラフの大地震と歴史の節目
東海・東南海・南海地震と呼ばれる南海トラフ地震は、日本の歴史の境目と同じ時期に起こる傾向があります。
南海トラフでは一定の間隔で大地震が起き、その前後には日本のほかの広い地域で地震が起きることが、過去の記録から知られています。
ですから長い目で見れば、その時々の人の世の出来事をいましめるために起きているというより、ある社会の制度ができてそれが立ち行かなくなるまでの時間と、地震が発生する周期がほぼ同じで、そこには地球規模でのなにか大きな力もはたらいているらしい、とみられます。
そうとらえたほうが前向きな対策を考えることもできそうです。
古文書や遺跡の調査によって、発生した年代が特定されている地震を古い順にあげます。
地震の名称、規模、発生した年月日は理科年表に記載されているものです。
< >内は、前回の地震からの年数(発生の間隔)です。
また歴史的な出来事との関連は、『歴史から探る21世紀の巨大地震 揺さぶられる日本列島』(寒川旭著、朝日新書、2013年)を参考にしました。
①天武天皇の南海・東海地震 M8.3
天武十三年十月十四日(684年11月29日)
記紀が編纂され、伊勢の式年遷宮がはじまった時代
「日本書紀」に記録されています。白鳳地震とも呼ばれます。
地震から2年後の686年に天武天皇が崩御し、持統天皇の時代がはじまります。
興味深いのは688年に伊勢両宮の遷宮が定められ、690年に皇大神宮(内宮)、692年に豊受大神宮(外宮)の第一回式年遷宮が行われていることです。
<203年>
②仁和の南海・東海地震 M8.0-8.5
仁和三年七月三十日(887年8月26日)
六国史の終わり、藤原氏の摂関政治の時代へ
「日本三代実録」に記録されています。
光孝天皇が即位して4年目、藤原基経が太政大臣でした。
平安京でも余震が続くなかで八月二十日には大嵐(おそらく台風)におそわれ、二十六日に光孝天皇の体調が急変、崩御します。
急遽、臣籍降下していた源定省が皇籍に戻されて皇太子に立ち、天皇になります。天満宮と菅公の回に登場した宇多天皇です。
「日本書紀」からはじまった国の正史である六国史の編纂は、この「日本三代実録」の光孝天皇崩御の記事で終わっています。
<東海地震209年 南海地震212年>
③永長の東海地震 M8.0-8.5
嘉保三年十一月二十四日(1096年12月17日)
※天変地異により同年十二月十七日に改元され、永長元年
翌永長二年十一月二十一日にも天変地異により改元され、承徳元年
康和の南海地震 M8.0-8.3
承徳三年一月二十四日(1099年2月22日)
※同年八月二十八日に地震、疫病により改元され、康和元年
このときの東海地震と南海地震には約2年の間隔がありました。
堀河天皇、白河上皇(法皇)、関白藤原師通の時代です。
34歳の白河上皇が8歳の堀川天皇に譲位したのは、応徳三年(1086年)でした。それから10年後、東海地震の半年ほどまえに上皇は出家して法皇になっています。
白河上皇の院政は40年間におよび、その後も鳥羽、後白河、後鳥羽と上皇による院政がつづきます。
<約100年?>
④1200年頃? 南海・東南海地震
鎌倉幕府がはじまった頃
地中に残された痕跡などから、1200年頃にも南海・東南海地震があったのではないかと見られています。
<③から262年、④から160年?>
⑤正平の南海地震 M8.4
正平十六年六月二十四日(1361年8月3日) 北朝の年号では康安元年
南海だけでなく、東南海・東海の地震も続けて発生したのではないかと言われています。
56年にわたる南北朝時代の半ば頃で、北朝は後光厳天皇、南朝は後村上天皇の時代です。
この年に懐良親王の南朝方による九州支配がはじまり、一方の北朝は、十二月に室町幕府第二代将軍の足利義詮が京都を回復しています。
<137年>
⑥明応の東海地震 M8.2-8.4
明応七年八月二十五日(1498年9月20日)
室町幕府の衰退、戦国時代のはじまり
この年の六月にも地震の記録があり、先行して南海地震が起きていたのではないかといわれています。
後土御門天皇、十一代将軍足利義高(義澄)の時代です。足利将軍家は分裂し、伊豆に北条早雲が登場して戦国時代がはじまった頃です。
<107年>
⑦慶長の南海・房総沖地震 ともにM7.9
慶長九年十二月十六日(1605年2月3日)
江戸幕府のはじまり
南海と房総沖で、M7.9の2つの地震が続けて発生したとみられています。
この地震は揺れによる被害はなく、房総から九州までの各地が大津波におそわれました。
後陽成天皇の時で、1603年に徳川家康が江戸幕府を開き、秀忠が二代将軍に就任した年のことでした。
戦国時代の末は、天正十三年(1586年)の天正地震、文禄五年(1596年)の慶長の豊後地震、慶長の伏見地震といったM7より大きな地震が続きました。
<102年>
⑧宝永の南海・東海地震 M8.6
宝永四年十月四日(1707年10月28日) 十一月二十三日に富士山大噴火
元禄文化の衰退
東山天皇、五代将軍綱吉の時代です。
4年前の元禄十六年十一月二十三日には、M8.2の元禄関東地震も起きていました。
地震と噴火の影響で元禄文化は下火になっていきます。開府から百年が過ぎた幕府の財政はきびしくなり、改革の時代がはじまります。
<147年>
⑨安政の東海地震 M8.4
嘉永七年十一月四日(1854年12月23日)
安政の南海地震 M8.4
同年十一月五日(12月24日)東海地震の約32時間後に発生
※十一月二十七日に改元、安政元年
開国期、幕末から明治維新へ
孝明天皇と十三代将軍徳川家定の時代です。
幕末は全国的に大きな自然災害が連続した時代です。
諸外国船の来航と開国だけでなく、自然災害によっても人心が大きく動揺し、そのなかで社会も変化していったと考えられます。
<東南海地震90年 南海地震92年>
⑩昭和東南海地震 M7.9
昭和十九年(1944年)12月7日
昭和南海地震 M8.0
昭和二十一年(1946年)12月21日
大日本帝国の終わり、敗戦、戦後
東南海地震から約1か月後の昭和二十年(1945年)1月13日には、愛知県で三河地震M6.8が発生しています。
東南海地震は開戦から4年目に入ろうという日で小磯内閣、敗戦をはさみ、南海地震は吉田内閣のときでした。
この東南海・南海の地震から80年が経過していることから、次の大地震への対策がすすめられています。
なお東海地震は、⑨からすでに170年が経過しています。