聖書の神の物語は、日本列島だけでなく、この全世界の文明の発展にも、たぶん天のプログラムで挿入されたものでした。その神の物語が終了したことで、人知は、ギリシアのソクラテス、プラトン、アリストテレスと続いた哲学と呼ばれるものと、幾何学などの数学も含む思考の文化の正しい相続を発見しようとしています。これらの思索者たちとのコンタクトをする波動が、アカデミアという名で、フィロソフィーという言葉が使われていないのは、日本語の哲学のもととなるフィロソフィーという英語には、それらの思索者の波動が含まれていないことを示しています。日本に原爆を落とすためにアメリカ政府と協力した多くの科学者が、その生まれた地域が、ドイツより東側の東欧圏であったこと。近代の科学技術が、イギリスから、フランスやドイツに移り、第二次世界大戦前に、その東側で生まれていた、フォン・ノイマンをはじめとする多くの天才がアメリカに移住したという過去を考えると、知のムーブメントは東に向かっていたと考えられます。その終着地は、日本列島であったはずなのです。それが、ギリシアの思索者が、今日の日本にリンクされる理由と考えられるでしょう。
二千二十三年 一月二十三日 積 哲夫 記