キリスト教文明の時代が終わりに近づいて、世界の良心的な思索者は、いまの民主主義のあり方の限界の先を考え続けているはずです。その立場で重要なのは、古代ギリシャのソクラテスやプラトン、そしてアリストテレスなどの哲学で、イエスのゴルゴダの丘の十字架によって、別の物語の時空に移行する前の、人間が神々と共にあった時代の人知です。日本人は、この古代ギリシャと同様の神々と共に歴史をつくってきた記憶が、まだ、残っています。つまり、このアカデミアの波動シールが持つ、人間のハイレベルな思索の次元にも、波動的にリンクし易いはずなのです。これまで、日本語は、哲学的な思考に向いていないと思われてきましたが、本来、神界語であったやまと言葉の持つ特性を正しく受け継ぐことのできる思考系は、精神学の学びの先にある未来の扉を開くためのものとして、用意されたものです。そのために、現代の日本人が、日本語に翻訳された、たとえば、ソクラテスとプラトンの対話を読んだ時、その対話の内容の現代的意味を考える脳の回路のスイッチが入ることになります。もし、イデオロギーの時代の先を考えることで、いまの民主主義社会の限界を突破したいと考えるなら、このシールの力を活用することを試すべきです。
二千二十二年 十二月五日 積 哲夫 記