セオリツヒメが語る
日本の精神文化としての 御霊 怨霊 夜叉 悪霊
そして鬼(三)
この国の長い歴史のなかで、わたくしどもがこうやって表に立ち、なにかを告げることは、最初で最後かも知れません。
それには、長い伝統のなかで絶えることなくつちかわれてきた、日本の精神文化をひきつぐためのある「意図」のようなものがはたらいているとだけ、今は申し上げておきます。
歴史は単純ではありません。一方向にだけ進むものでもありません。
その複雑さが、日本の歴史や文化を豊かなものにしてきたことも、また確かであり、複雑であることによって成熟してきたともいえるのです。
神や仏たちにも、自分たちの見たこと聞いたことを話してみたい、というものがいるようですから、そういうものたちがここには登場してきて、かれらの知る歴史の一場面を話してくれることでしょう。
それは、どこかの町をたずねたおり、社寺を参拝したとき、歴史ある作品にふれたとき、そこにも神仏と人のかかわりがあるということを、思い起こす一助になることでしょう。
事実は小説より奇なり、と申します。不思議は、日本のそこかしこにあふれているのです。
あなたの住んでいるその町も、神のタタリによって生まれた土地かも知れませんよ。
はじまりにあたって セオリツヒメ
2023.6.6(火)記