阿蘇市一の宮町 国造神社の「手野の大杉」が語る
樹木はいかにして神木になるのか-神は死なず(2)
ただ、眠っているあいだ(時間)もなにもしていないわけではなくて、なんというのでしょう。
「涅槃」にはいっているというか、「禅定」の状態にあるというか、静止しているようでありながら、絶えまなく意識は活動をくり返している状態にあります。
「わたし」は「わたし」ではなく、わたし以外のものでもある。
しかし、「わたし」は「わたし」以外のなにものでもない。
そのあいだを、まどろみながら往き来している状態にあります。
「神」というものは、おそらくそういうものなのではないでしょうか。
「わたし」でもあり、「わたし」以外のものでもある。
しかし、「わたし」は「わたし」でしかない。
時もおなじです。
一瞬は「今」であり、刹那のようでありながら、すべてを包括している。
それを「永遠」と呼んでもよいのですが、しかし「今」であり刹那なのです。
目醒めたときには、すでにそのような状態にありました。
それを区別しているものは、何なのでしょう。
(次回につづく)
2023.8.7記