ヒトはいかにしてカミになるのか(23)

他化自在天が語る 怨霊になる方法(10)

菅公の死後

どの地であったにせよ、菅公は903年に59歳で亡くなったようです。
都を離れてわずか2年ほどです。深い失望や悲しみ、さびしさと憤りが死期を早めたのでしょうか。
905年に大宰府の安楽寺というお寺に祀られたとされていますが、詳しいことはわからないようです。この安楽寺が、現在の太宰府天満宮の前身にあたります。

菅公の死の前後から、京の都は荒れて災いが多くなり、たびたび雷が落ちたといいます。多くの民も疫病や自然災害の被害をこうむりましたが、「菅公の怨霊」によって直接死傷したとして、その名前があげられている人は十数人にのぼります。
菅公の死から5年後に1人、6年後に1人、10年後に1人他界しています。
この3人は菅公の左遷に直接関係があったらしい人物で、6年後に亡くなったのが菅公の政敵とされる藤原時平です。

「もしや…」という心当たりがある人たちのあいだでは、菅公の霊を慰め、難を避けるために、ひそかに加持や祈祷が行われていたかもしれません。

「ほんものの怨霊というのは、とてもおそろしいものですよ」
と、他化自在天の話にありました。
それは、さらに数年が経ってからはじまります。