他化自在天が語る 怨霊になる方法(11)
921年 (菅公の死から18年)
醍醐天皇の命で太宰府の墓所に社殿が建てられる
藤原時平の弟、仲平が奉行をつとめました
923年(死から20年)
醍醐天皇の皇太子、保明(やすあきら)親王が21歳で急死
保明親王の母は時平の妹でした。
この親王の死の直後に、朝廷は菅公を右大臣に復し、正二位を贈って、大宰府へ左遷した際の詔勅(天皇の公式文書)を焼却しています。
これは、おおやけに
・菅公を生前の身分に戻した(右大臣に復した)
・さらに生前よりもひとつ高い官位を贈った(正二位を贈った)
・左遷の公式文書を取り消した(詔勅の焼却)
ということです。
親王の死には菅公の怨霊が関係していると、朝廷がみとめたのです。
たしかに、ふつうの悪霊ならばこれで鎮まってくれるのですが…。
925年(死から22年)
保明親王の第一皇子慶頼(よしより)王が5歳で病死
保明親王が亡くなり、次の皇太子として立てられていたのが慶頼王でした。王の母は時平の娘でした。
社を建てたことも、追贈も詔勅の破棄も、まるで受け入れていないかのようです。
「ほんとうの怨霊というのは、とてもおそろしいものですよ」はまだ続きます。