ヒトはいかにしてカミになるのか(27)

他化自在天と 怨霊になる方法(14)

菅公が神になった時代

醍醐天皇の34年間の御代の記録には、洪水、干ばつ、田畑が荒廃して耕作不能になった、疫病が流行したと何度もあらわれます。
清涼殿の落雷から菅公が祀られるまでの出来事を年表にしてみました。

930年 清涼殿落雷事件、醍醐天皇が亡くなる
935年 平将門の乱が起きる
936年 藤原純友の乱が起きる
937年 富士山の噴火
938年 空也上人が都で念仏を説く 浄土信仰が盛んになる
940年 平将門が討たれる
942年 多治比文子に託宣がくだる
945年 多治比文子と太郎丸に託宣がくだる 志多羅神上京する
947年 北野に祀られる

ひとびとや朝廷が「天候不順や疫病に加えて、将門の乱、純友の乱とつづいているのは、菅公の怨霊のタタリでは…」とおそれたとしても、おかしくありません。

945年の「志多羅神の上京」も興味深い出来事です。志多羅神はシダラガミと読みます。
この年の夏、数基の神輿(みこし)が筑紫から民衆に担がれ、村々を引き継がれて、都をめざして上ってきました。
第一の神輿の神は自在天神(菅公の霊)で、第二・第三は宇佐の八幡神と住吉神だったといいます。
民衆たちは、御幣を捧げた太鼓をうちならしておどり、列をなしました。
上京した神輿は岩清水八幡宮へと入っていったそうです。

宇佐の八幡神も住吉神も、菅公が亡くなった筑紫にゆかりがある神です。
神々とともに菅公の霊がおみこしに乗り、都へ戻ってきたときには、大騒ぎになったことでしょう。
菅公の霊は、民衆たちから歓迎される存在になっていたのです。