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信仰は時代によって変化する

天神様・菅公の御神徳は、時代を追うにつれて増えていきました。

はじめは、おそろしい怒りの神、はげしい雷神として祀られました。
菅原氏の一族が文才・学識にすぐれていることを知っている貴族や僧侶など、都の文化人から信仰されるようになります。
北野という土地から、都の守護神ともされました。
やがて、菅公が都を追われる原因といわれた「冤罪をはらしてくれる正義の神」に、雷神・天神であることから「農業の神」になりました。
さらには「書道の神」「連歌の神」「芸事の神」にもなりました。

江戸時代になると藩校や寺子屋が各地につくられて、武士や庶民に広く学問がすすめられるようになります。
天神様は寺子屋の守り神とされ、「学問の神様」として親しまれるようになりました。
村の鎮守様としてたくさんの「天神様」が祀られるようになったのは、この頃のことではないでしょうか。

童謡の「とうりゃんせ」では、「この子のななつのお祝に お札をおさめに参ります」と天神様へお参りする様子が歌われています。
天神様は「幼い子どもたちの守り神」としても、はたらかれていました。

江戸の後半に国学がさかんになって、外国との関係が緊張しはじめると「遣唐使を廃止して国を守った神」になります。明治時代からは「天皇への忠誠心を貫いた至誠の神」になり、戦後になってわたしたちがよく知っている「受験合格の神」になりました。

もちろん菅公がこれらの御神徳を望んだのではなく、そのときどきの時代の要請でつくられたもので、ひとびとが自分たちの望みや願いを投影してきた結果です。
天満宮には、菅公が神様でありながらヒトでもあることから、ひとびとに身近で親しみやすい信仰のかたちがあります。