阿蘇市一の宮町 国造神社の「手野の大杉」が語る
樹木はいかにして神木になるのか-神は死なず(6)
ヒマラヤであろうと南半球であろうと、それは変わりません。
なにかがあることによって、存在をしているものたちが、地球には数多くいるのだということを、知っておいていただきたいのです。
うしなわれたように見えて、形をなくしただけかも知れないものたちが、たくさんいるのだということも。
新たな形をあたえられなくとも、命をなくしていないものたちも、たくさんいるのだということも。
その一部が、わたしとして木に宿り、存在することになったのですから。
覚醒とは存在とおなじものである。
それをわたしは、「神」は死なず、と言い換えているのにすぎません。
ありがとうございました。
(まさか木がこんなことを考えているとは、みなさん思いもされなかったことでしょう。森とはそういう意味では「おそろしい」場所でもあるのですよ…)
手野の大杉 拝
2023.8.7記