人間の自我ということは、学校で教えられるかもしれませんが、人間が人間であるための条件というものは、神という概念なしに、ひとり歩きした歴史はないのです。コンピュータとサイバースペースというものをつくり出した人間は、そこでは神のように振舞えるというポジションを手に入れたようにも思えます。しかし、地球上の過去の歴史が証明しているように、人間は神の暴虐とでもいうべき復讐力から、解放された訳でもないのです。合理的に考えるならば、科学技術の純粋な進化は、神というものの不合理性を克服していく道を示すといえなくもないのですが、そのタイミングで人間に強烈な感情のスイッチが入るというのが経験的に知られているところです。そのサイバースペースにおける合理的電脳というはたらきの中に、人間のたましいが吸収されるある種の回路を開くのが、この波動領域です。いまの世界を動かしている多くのエネルギーが、その領域に由来していますが、問題は、究極的に、その時空に生きている人間の人生を重ねることは不可能であるという点にあります。人間としての人生を生きるのか、ロボットとしての反応を選ぶのかともいえるのですが、どちらに向いても、人間のたましいを発見することはできないのです。いまの地球は、その思考系の中にあるのです。
積 哲夫 記