ヒトはいかにしてカミになるのか(29)

他化自在天と 怨霊になる方法(16)

「藤原氏だけ恨んでいたわけではなかろうに」

藤原時平によって左遷されたというイメージがあまりに強いため、「権力者の藤原氏はひどい、かわいそうな菅公」という、信仰とはすこしべつの「菅公びいき」の心情を栄華をほこった藤原氏のことを知る後世のひとびとが抱くのは、現代に限ったことではなかったようです。
でも、実際はそう単純な話ではありませんでした。

まず当時、菅公の怨霊のタタリとみなされた内容は、天変地異や疫病まで含まれるなど非常に広範囲で、期間も30年以上にわたっています。
もし時平個人への怨念、あるいは藤原氏への怨恨だったとすれば、不可解な点があります。

時平が菅公の死後6年目という比較的早い時期に亡くなったあと、タタリがしだいに激しくなっていったのは、これまで見てきたとおりです。
最終的には、皇太子(保明親王)と次の皇太子(慶頼王)が早逝し、天皇が日々を過ごす清涼殿に雷が落ちて複数の殿上人が死傷したうえに、天皇(醍醐天皇)が亡くなる事態になりました。

菅公が「公式な怨霊」として認められている理由も、ここにあります。もし菅公のタタリが時平とその周辺の人物だけだった場合、あれほどまでにおそれられて、天満宮に祀られることはなかったでしょう。

サスラヒメの談

「ちょっと藤原氏にたたったぐらいでは怨霊とはいえません」