ヒトはいかにしてカミになるのか(37)

他化自在天と 怨霊になる方法(24)

菅公が怨霊をへて神になることができたのは

・ふだんから信心に励んでいた
・神仏や魂魄についての知識があった
・神仏への頼み方(作法や言葉)をよく知っていた

という素養があったうえで、

・願いが六欲天の他化自在天の層に届いた
・その内容が認められて怨霊となった
・やがて、ひとびとに祀られて神になった

という経過をふんだことによります。
でも、怨念を溜め込む「畜生道」から他化自在天の層までは、かなり遠いのです。

(上層)
六欲天 ←ここの最上層まで願いが届いた
人間
阿修羅
畜生  ←ここから
餓鬼
地獄
(下層)

このへただりをこえていくだけの願いと祈りが必要でした。

では菅公は、どんなことをどのように願ったのでしょうか。
生前に菅公が大宰府で書いた詩をまとめて、紀長谷雄(きのはせお)に託したと伝えられる「菅家後集」のなかに、「叙意一百韻」という題の漢詩があります。
五言二百句、合計千字のとてもとても長い、菅公が「天」にむけて書いた詩です。

人生をふりかえり、左遷によって離ればなれになってしまった家族のことを思いながら、みずからが無実であることを綴っています。
学者の家に生まれた菅公は、宮仕えのなかで自分が身を立てていくことができるのは文章の道しかないことをよく理解していて、一生懸命に学んだこと。同時に文章を書くことによって自分をなぐさめ、奮い立たせてきた人生だったことがよく伝わってきます。

この「叙意一百韻」は、実際に「天」に届いていたのではないかという印象を受けます。
すぐれた文章や芸術は、神仏にまでつうじるからです。
菅公が生涯を通じてこころを尽くし、真摯な姿勢を貫き続けたものは、人の世でのあれこれではなく漢詩や文章にたいする信念だったのかもしれません。
またそれは菅公にとって、一族の誇りと家業、そして家をまもることと同じ意味を持っていたことでしょう。
その願いと祈りを千の文字にこめ、天に託して世を去っていったのです。