他化自在天と 怨霊になる方法(18)
太宰府と北野のふたつの天満宮も、明治のはじめの神仏分離・廃仏毀釈を経ています。
いまではその当時の様子を想像することもむずかしくなっていますが、もとはどちらも仏教寺院としての色あいのほうが濃かったそうです。
北野天満宮は、北野寺とも呼ばれる天台宗のお寺でした。
太宰府の墓所の名称も、安楽寺からはじまって、その後は天満宮や大宰府天満宮。
明治維新で安楽寺が廃止されて太宰府神社となり、戦後にふたたび太宰府天満宮というふうに、変わってきたのだそうです。
太宰府では「京の都のようなタタリはなかった」という話もあります。
太宰府と北野は、おなじ天満宮でもその性格や役割がずいぶんちがっています。
「怨霊になる方法」と菅公について語ってくれたのは、仏界の他化自在天に所属していた存在でした。
それは、廃仏毀釈より前の神仏習合の精神世界の構造と対応しているためで、菅公も他化自在天という仏界の領域に所属していたからです。
また他化自在天という領域から、精神世界の存在としての「格」と地位を与えられ、居場所も与えられる同時に、監督下におかれていたことを意味しています。